2008年9月14日日曜日

もの談義Ⅱ

今日は、もの談義Ⅱということですが‥‥‥‥‥
結構ショックで、そして考えさせられた一澤帆布についての騒動についてです。

かなり、個人的で誠に独断的な意見なので不快な思いをされてもいけませんので興味のない方はこの先を読まないよう、お願いいたします。


















ここの帆布製品は、大好きでした。

初めて知ったのは、20年近く前のことだったと思います。「男の定番事典 道具編 婦人画報社(1988)」にのっていた帆布バッグは、あの頃のモノ好き少年の物欲を限りなく刺激しました。モノ作りに対する姿勢、製品が醸し出す雰囲気、京都に対する憧れ‥‥‥‥‥たまりませんでした。
大学時代の京都旅行の際には、ショルダーバッグを買いました。生地とベルトの色指定をして‥‥‥‥‥届くまでの待ち遠しいこと、待ち遠しいこと、待ち遠しいこと‥‥‥‥‥‥‥使い倒しました‥‥‥‥‥底が擦り切れ、ヨレヨレになっていますが、現在も15年選手として愛用中です。
ショルダーバッグ購入後もペンケース、トートバッグ(奥さん用)、ショルダーバッグ(箱形小)‥‥‥‥と購入しました。(全てが現役です)

そんな一澤帆布がお家騒動でゴタゴタしていると知ったのは、2006年のことでした。部外者には、わからないことばかりでしたが、一澤帆布製品のファンとしては、再開を熱望していました‥‥‥‥‥
で、ゴタゴタの結末は、前社長の
一澤信三郎さん(一澤帆布を世界に誇る京都ブランドとして確立した方。創業者の次男)が長男と三男に追い出されるような形になりました。職人達は、信三郎さんについて行きました‥‥‥‥そして、信三郎帆布が出来ました。

考えたことがあります。一澤帆布がここまで人々に愛されるようになったのは、なぜか?と‥‥‥‥
で、あくまでも自分の個人的な考えながら思い至ったのは、強烈な個性(信三郎さんのリーダーシップ)と職人達の技術、京都の風土等がつくりだした「信用」信頼」の魅力なのではないかなーっと‥‥‥。
一澤帆布らしさのもとになっているラベルやクラシックな
デザイン、帆布の素材感などはあくまで副次的な産物であり、それだけでは、あそこまでの怪物ブランドにはならなかったものと思います。(帆布製というだけなら他にも色々なメーカーがありますし、似たようなデザインのモノだってざらにありますし、あのデザインが殊更、優れたデザインということもないでしょう‥‥‥あくまでも総合的な魅力……ということになると思います)
ということで‥‥‥‥‥‥
職人の去った(現)一澤帆布には、なんの魅力もないと考えています
(あくまでも個人の考えですが‥‥)
無礼覚悟でいえば、(現)一澤帆布は、(旧)一澤帆布の模倣品を作っているようにさえ、思ってしまいます。

ただ、情報だけで騒いでいてもいけませんので‥‥‥
京都に行った際に信三郎帆布と(現)一澤帆布へ訪問してきました‥‥‥現在、2店舗は同じ並びにあります‥‥‥‥
ガイドブックでは信三郎帆布が取り上げられています(当たり前でしょうね)‥‥‥‥
14:00前後でしたが両店舗共に混み合っています‥‥‥‥‥信三郎帆布の混み方は半端ではありません‥‥‥‥‥‥‥‥
ただ、混み合っている2店舗を見たときにどうでも良くなっている自分がいました。(ブランドが欲しくてプライドを捨てた(現)一澤帆布、追い出されながらもプライドを守る信三郎帆布、何も知らずに一澤帆布のラベルに群がるお客さん、知っていても一澤帆布のラベルに群がるお客さん、信三郎帆布を応援するお客さん‥‥‥‥‥‥)
帰宅する際に年配のご夫婦が(現)一澤帆布をお土産用に持っているのが見えました‥‥
事の顛末を知っているのか、知らないのか‥‥‥
自分がどうこう言うことではないですね‥‥‥
当分の間、ここの帆布バッグはいらないですね‥‥‥
あと20年もしたら、20年たった信三郎帆布製品に物欲がうずくこともあるかもしれませんが‥‥‥)
※同志社大学附属小学校の鞄は、信三郎帆布製に変更になりました。
※俵屋旅館の帆布製の備品は、
信三郎帆布製に変更になりました。
当然だと思います。